都倉俊一の現在は?なぜ文化庁長官に?その功績とは?

都倉俊一さんはピンク・レディーをはじめとする数々のヒット曲を手掛けた作曲家として知られる方です。

この3月までは文化庁長官を務めるという異例の経歴の持ち主です。

長官を退いた現在の状況や、そもそも文化庁長官となった経緯や功績が気になる方もいらっしゃると思います。

今回はそのあたりにフォーカスして採り上げてみたいと思います。

都倉俊一の現在の状況は?

都倉俊一さんは2026年3月末で文化庁長官を退任し、ウェイトを抑えていた作曲にかかわる音楽活動へ戻っています。

都倉さんは長官としての公務を終え、日本の文化に関わってきた経験を土台に、再び音楽へ向き合う時期に入ったといえます。

「文化庁長官に就任したので作曲家としての仕事がやや後回しになっていますが、夢はミュージカル作品の世界公演ですね。テーマの一例は葛飾北斎。88歳の長寿を全うした希代の浮世絵師の人生を様々な人間模様を絡めながら描いたら面白いよねと仲間たちと構想を温めています。とにかく僕は作曲家として『時代との対話』をずっと続けてきた。その対話を次世代のクリエーターにしっかりと継承するのもリーダーとしての大事な使命だと感じています」

NIKKEI リスキリニング 文化庁長官・都倉俊一氏 情熱と誠実さで人を説得

2022.7.27より

こちらは文化庁長官時代に答えたインタビューですが、年齢を重ねても常に夢を持ち、文化芸術の発展を思い描いていることがうかがえます。

今はおそらく、その夢を具現化しつつある時期かと思われます。

今後の動向に注目したいと思います。

都倉さんは2026年8月時点で78歳ですが、年齢を感じさせない意気込みです。

きっと生涯、この道を突き進めるものと思われます。

 

都倉俊一はなぜ文化庁長官に?その功績とは?

都倉俊一さんが文化庁長官に就いた背景には、作曲家として音楽の現場に長く関わってきた経験と国際的な視野を持ち、文化・芸術の発展への期待があったものと受け止められます。

都倉さんが文化庁長官となったのは2021年4月で、コロナ渦の真っただ中でした。

文化庁長官とは、文化庁の取り組みを社会へ伝え、芸術に携わる人々の声にも目を向ける立場です。

コロナ禍では公演や創作の場が大きく揺れました。

公演活動は停止を余儀なくされ、美術館や博物館も一時は閉館に追い込まれました。

文化発展の芽がしぼみかけた時期に、音楽家の感覚を持つ長官が発信を続けたことは、復興を後押しする力になったと思われます。

私は、作曲を仕事として活動してきた都倉俊一さんが文化の側から言葉を発する姿には、従来の官僚組織とは違う意味があるように感じました。

「伝統文化を保護することも重要です。でもさらに海外市場で外貨を稼げるような文化芸術産業を生み出さないといけない。守りだけでなく攻めの発想も必要になる。国際的な視野から官民一体で文化芸術活動を後押しできるプロデューサーのような役割が期待されていると感じます」

NIKKEI リスキリニング 文化庁長官・都倉俊一氏 情熱と誠実さで人を説得

2022.7.27より

この発言だけを見ても、攻めの姿勢を感じます。

お役所的な決まりきった堅苦しいイメージとは、全く逆に思われました。

都倉さんは、外交官だった父の仕事の関係から、小中学生時代をドイツで過ごしました。

このドイツでの生活が、自身にリーダーシップを育んだとも語っています。

個人的には、作曲家が長官を務めたこと自体が、芸術は一部の人だけのものではないという発信になったと捉えています。

そして、2023年3月には文化庁の京都移転を実現させました。

移転から1年を経て、次のように語っています。

京都は、日本の文化発信の拠点としてのブランドも素晴らしいものがあり、マンガ、アニメ、ゲームの拠点だ。今や世界に誇るコンテンツになっている。25年に民間が京都での開催を考えている国際的な音楽祭、アジア版グラミー賞もサポートしていく。これまで東京に来るのが当たり前だった世界のアーティストが京都に来て、それを京都から発信していくことには大きな意味がある。

朝日新聞 文化庁の京都移転1年、都倉長官「ようやく形に」 文化省の必要性も
2024.3.27刊より

京都をはじめ各地で文化を支える人にとっても、現場を知る人物の存在は励みになったのではないでしょうか。

都倉さんはこの文化庁の京都移転の関係もあり、5年にわたって文化庁長官を務め、2026年3月をもって退官しました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました