弦哲也の学歴は?、歌手から作曲家への転身・開花とは?

作曲家の弦哲也さんは「天城越え」などで知られる有名な作曲家です。

どのような学歴なのか気になるところです。

はじめから作曲家を目指したのではないという経歴にも注目です。

 

弦哲也の学歴は?

弦哲也さんの学歴について、公表されている学歴では帝京高校の出身であることが分かっています。

弦哲也さんは千葉県銚子市の出身ですが、中学2年生の時に恩師の紹介で歌手を目指して上京していました。

それもあって、都内の高校に通った経歴になっています。

帝京高校といえば、野球やサッカーでは強豪校として知られ、多くのプロ選手を輩出しています。

その中で、歌手~作曲家というのは、帝京出身という点では異色の存在のように思われますね。

 

弦哲也は歌手から作曲家へ転身

弦哲也さんは、日本の作曲家として知られる人物です。

本名は「田村正稔」です。出身地である銚子市名誉市民でもあります。

作品は2000曲を超え、日本作曲家協会会長やJASRAC会長も歴任しました。

経歴で目を引くのは、最初から作曲家だったわけではない点です。

1965年8月に東芝レコードから田村進二として歌手デビューし、1968年に弦哲也へ改名しました。

名前の「弦」は、好きだったギターに由来すると伝えられています。

私はこの流れを知って、少し驚きました。同じ音楽でも、立つ場所を変えるだけで景色が変わるものです。

弦哲也の歩みは、その見方を教えてくれます。

比較としては相当小さなレベルの話になってしまいますが、私も仕事で行き詰まったとき、やり方を変えた途端に進み方が変わった経験があります。

弦哲也さんの歩みには、そんな手応えが重なるような思いです。

そして、北島三郎の公演にギタリストとして帯同した折に作曲を勧められたという話も印象的です。

「歌手をあきらめて別の道を切り開け」という北島三郎さんの言葉を受けて、歌手への未練を断ち切ったことをメディアの対談で語っています。

 

弦哲也は作曲家として開花

弦哲也さんは1976年、おゆきで作曲家デビューを果たしました。

その後は記念アルバムも発表しました。

生活を支えた一曲から、大きな作品の世界へ広がりをみせていきます。

1980年代に入ると、川中美幸さんの「ふたり酒」がヒットします。

そして、1986年には石川さゆりさんの「天城越え」が大ヒットして、第28回日本レコード大賞金賞を受賞することができました。

その後も「北の旅人」などがヒットして、作曲家として広く知られるようになりました。

1999年に日本レコード大賞吉田正賞を受賞。

作曲家や著作権に関係する協会の会長職も歴任し、音楽界を支え続けています。

今後も末永く活躍することを期待したいです。

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