演歌界に多くの若手を輩出している作曲家の水森英夫さん。
最初から作曲家を目指していたわけではありませんでした。
水森さんが若い頃はどうだったのか、また、作曲家となった経歴が気になる方もいらっしゃると思います。
そんな水森さんについて、経歴を見ていきましょう。
水森英夫の若い頃
水森英夫さんは1949年9月18日の生まれで、栃木県の出身です。
最初から作曲家を目指したのではなく、歌手志望でした。
音楽が好きになった原点は幼少期にあります。
水森さんは7人家族で育ちました。
家事に追われていたお母様がラジオから流れる「歌謡曲ベストテン」をよく聴いていたそうです。
「今週も三橋美智也が1位だった」と、5歳の水森英夫さんへ嬉しそうに笑いかけました。
水森さんは母の笑顔が大好きであり、その影響から三橋美智也さんのファンとなりました。
こうして音楽に惹かれていきました。
そして水森さんは1963年10月、中学2年生で東芝レコードからデビューしました。
高校生ではグループサウンズのザ・ジェノバに参加し、早くから歌唱の現場を重ねています。
19歳で敏いとうとニューブルー・キャンドルのボーカルを務め、22歳には自作の「たった2年と2ヶ月で」を発表しました。
しかし、ヒットに恵まれませんでした。
水森英夫は作曲家へ転身
水森英夫さんは、26歳で歌手を引退しました。
それからは、弾き語りやスナック経営と夜の繁華街での生活を続けながら、歌作りに励んでいました。
しかしながら、作曲家に転身して10年経ってもヒット曲に恵まれませんでした。
他方、副業で始めた赤坂のスナック経営は波に乗り、多店舗化が視野に入っていました。
そんな時、店のお客さんから近況を訊かれ、ギターで弾き語りをしました。
その直後、店の構想を話すと「……それはどうかな。店は俺でもできる。でも、こんな良い曲は作れない。3年、必死に売り込むべきだよ」と説得されました。その曲が『酒きずな』だったんです。
NEWS ポストセブン 2020.12.28 より
「酒きずな」は、天童よしみさんのNHK紅白歌合戦初出場曲となりました。
何気ないことが重要な転機となりました。
20年近く下積みを続けることは容易ではありません。
この出来事がなければ、作曲家をやめていたかもしれません。
作品の依頼が徐々に増え、スナック経営を卒業して作曲家として一本立ちしました。
演歌界に新しい風を吹き込むことを意図し、若手を輩出し続けています。
現在は日本作曲家協会の常務理事を務めています。
私は、20代半ばの挫折から長い年月を経て道を切り開いた姿に敬意を抱きます。
20代後半から下積みが始まり、40代に入った時期に副業が好調であれば、自分なら作曲をやめていると思います。
年齢を重ねるほど、あきらめようという気持ちが早く湧いてしまうことを最近なお一層感じるようになってます。
それだけに、水森さんの経歴には、ある意味勇気づけられるような気持ちを抱きました。
水森英夫さんの門下生の歌唱やコンサートでのトークに惹かれるなら、先生自身の歌手時代と夜の現場で得た感覚にも目を向けると、水森門下の魅力を別の角度から味わえるかもしれません。

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